安心して制作できる場を

みなさんは、自分を包み隠さず、オープンに打ち明ける事は簡単にできますか?

よく知っている友人、両親、家族でも、自分自身を偽らずに全てを明かすことは難しいでしょうし、

まして、よく知らない人に自分自身をひけらかすことは難しいのではないでしょうか?

 

自分自身が制作をしていて思うのは、

絵を描いたり、何かを作ったりするうちに

自然と自分自身がその作品に宿ってしまうような感覚。

自分を隠して制作するのは殆ど不可能でないかというほどです。

隠したいものさえ出てしまうのが、作品なんです。

 

だから、制作するために必要なのは

高価な画材でも、洗練された材料でも、素晴らしいテーマでもなく

"安心して自分を表現できる場所!!”なのではないかと思うのです。

 

そんなこともあって、アトリエるーでは、

一応、毎回テーマやプログラムは用意しているものの

自由に制作する事のほうを大切にしています。

ただし、自分を、他人を、傷つけるリスクのあることは毅然とお断り!ですが。

 

生徒さんの姿を見ていると、

「上手くなりたい」という意思をもって取組んでいる子もいれば

自由な空気がただ楽しいという子

傷ついた自尊心を癒すように制作をする子

など様々。

 

私は心理学者ではないので、心理的アプローチはしません。

いちアーティストとして、制作プロセスや作品に、興味を持って

時々問いかけたり、提案したりするのですが、

それぞれの子にとって、その時間がどうやら大切な時間であるように感じています。

 

V.ローレンフェルド著【美術による人間形成~創造的発達と精神成長~】より

「ジョニイはいつもボブにいじめられているので、そこで、ジョニイは、ボブが嫌いだという感情を、色彩や配色の好き嫌いにあてはめて、絵の中に表現した。ジョニイはボブよりも弱かった。で、ボブが嫌いだということを、直接言うことができないので、かれはそれを絵の中に描き表したのである。そしてその後で、かれはせいせいした気持ちになる。ちょうどわれわれが不愉快に思っていることを、仲の良い友達に打ち明けると、せいせいとするのと同じである。嫌なことをみな、自分ひとりで心の中にしまっておくことは、「自分をむしばむ」ことであり、われわれを苦しめる。~中略~もしジョニイが、創作活動の中で、考えたり、感じたり、(見たり・触ったり、などのような)知覚したりするような経験をみな、沿うぞに結び付けられるならば、それは同時に、かれの人格を一つに統一するという効果をもたらすことになる。」

 

言葉での表現がまだ未熟な子どもにとって、制作は自分の思いを素直に表現できる素晴らしい手段だと思うのです。

大人だって同じです。言葉で自分を表現できているような気になるけれど、自分のことなど殆ど分かっていなかったと思うかもしれません。

 

人生、自分の思い通りになることばかりではありません。

色々な困難やハプニング無しの人生なんて無いのです。

アートは自分自身を癒すためのとても良いアプローチのようです。

 

先日、千里山では怖い事件がありました。

通ってくれている生徒さんは、とても元気に来てくれていますが、

まだ心に不安があるようで、ドアを開けて風を通していたのですが、

「ドア閉めて。怖いから。」と言って、ドアを閉めて内鍵をかけました。

 

そして制作に集中して、すっきりした顔で帰っていかれました。

 

制作中に寝ちゃった子もいました。

興奮して大きな声を出す子もいました。

それでも良いところって、とても少ないです。

 

アトリエは造形教室といいつつ、安全な空き地のようだなぁなんて思います。